刈和野少年剣道の歴史 

このページは前管理人さんが、根気強く調べたデータを基に復刻しております。

歴史と前管理人さんに敬意を表します。

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昭和7年 9月23日、第9回全県小学校剣道大会において、刈和野小学校高等科が決勝で増田少との熱戦のすえに優勝する。尋常科は1回戦で横手と対戦し6―5で敗退。(加沢謹司さんが出場していた)

昭和8年 9月17日、第10回全県小学校剣道大会に出場。高等科は2回戦で本荘と対戦し6―4で敗退。

昭和9年 10月20日、二代目校舎竣工

昭和11年 1月24日、刈和野町公会堂において、剣道の寒稽古中、積雪のため倒壊する。40名が生き埋めになり、4人が死亡、多数が大ケガを負った。 1月28日、遭難児校葬施行する。(事故に居合わせた長谷部健先生・高等科卒業)

10月18日、第12回全県小学校剣道大会に出場。高等科は1回戦で大曲を8―6で.降す。2回戦では増田と対戦し8―6で敗退。尋常科は2回戦で角間川と対戦し7―6で敗退。

公会堂の崩壊事故 出雲英治さん

 今でも刈和野コミュニティーの前を通るたび、何時も思い出すのは、今を去る61年前の1月24日の晩の悲しく、忌まわしい出来事である。当時は桜の木も余り大きくなく、また現在ある杉の木も十五センチ程の太さで四、五本はあったと思う。
 その晩は刈和野小学校剣道部の寒稽古納めを公会堂でやっていた。私たち柔道部は、翌日に警察の道場で稽古納めをする予定であったので、友達同士誘いあい、四、五人で見学に行ったのでした。
 稽古も盛んになった頃、電気は消えて、一瞬静粛がありました。間もなく「助けてくれ一」「痛いよう」の声があちこちから聞こえてきました。私もその下に居りましたが、幸いに角に積んであった畳に寄りかかっていたので怪我はありませんでしたが、すっかり驚いて「地震だ!」逃げなくては」と思い、被さっていた屋根を一緒にいた仲間で押しては見たもののビクともしません。二、三回押している一時に私の肘に強くあたったので何だろうと探ってみたら、刈小の古い校舎を移築した公会堂であったので、校舎の玄関の木製ドアであることがわかったのです。
 皆で力を合わせてそのドアを破り、外へと飛び出したが、人影もまばらで、近くに住む高橋徳弥さん夫妻が居りました。「地震ですか?」と聞いたら「違う!公会堂が雪のため潰れた」とのことでした。そうしている間に、ガレキとなった公会堂の中央付近から警察の山形善治部長さんが出て来て警察へと走っていき、急ぎ小使さんに半鐘を打たせました。間もなく人々が集まりだし、電気工事の人たちも来て照明が灯り、やっと暗がりがなくなりました。その後、私たちは指示に従い学校へ行き、ストーブを囲み暖をとりましたが、膝の震えがまだ止まりませんでした。
 一時間位した頃から被害が少しづつ解かってきました。
 佐藤忠廣さん、斉藤賢治君、伊藤国治君、高橋忠男君の四人が亡くなり、藤林忠治さん外多勢の人たちが大怪我をされました。本当に大変な惨事になったのです。今になって、何を言ってもどうしようもないが、せめて新しい材木で、しかも管理が行き届いていれぱと思わずにいられません。戦争体験もしたが、こんな経験は初めてです。三月には卒業するはずだった、元気で陽気な斉藤君など四人の亡くなった友を想うとき、何時しか怒りがこみあげてきます。(旧刈和野小学校閉校記念誌1996年より)

昭和12年 9月23日、第13回全県小学校剣道大会に出場。高等科は1回戦で大曲を7―5で降す。2回戦では角間川と対戦し7―5で敗退。尋常科は1回戦で旭北と対戦し8―3で敗退。

昭和13年 第14回全県小学校剣道大会の尋常科の部の決勝で角館を破り堂々全県優勝 

 全国大会(東京)にも出場し、すばらしい成績を収めた。

刈 和 野      3 - 1     角      館

逸見伊作

メコ

 

吉成昭二郎

嵯峨英夫

メメ

 

北川晴雄

逸見光昭

須田武四郎

池田錬ニ

メド

 

安藤昭輔

有坂岩雄

 

コド

西宮芳之助

 優勝旗を手にした逸見伊作(布袋屋)さんに思い出をうかがいました

 当時は、今みたいにサッカーなどはなく、武道が盛んで、毎日のように稽古に励み、優勝したときの喜びを今でも覚えています。
 現在でしたら優勝旗を持ってパレードもできたでしょうが、ただ全校生徒の前で報告のみでした。対戦した角館の相手のメンバーの方々の名前はよく覚えています。その後、全国大会出場で東京まで行きましたが、2、3回戦までは勝ったと思います。(旧刈和野小学校閉校記念誌1996年より)

昭和14年 9月24日、第15回全県小学校剣道大会に出場。高等科は本荘と対戦。尋常科は土崎二と対戦。

昭和15年 9月23日、第16回全県小学校剣道大会に出場。高等科は、リーグ戦ののち2回戦で湯沢を7―6で降す。準決勝では角間川と対戦し3―2で敗退。尋常科は、リーグ戦ののち2回戦で湯沢と対戦し7―5で敗退。(紀元2600年奉祝式)

昭和16年 第17回全県小学校剣道大会(詳細不明)。このあと大会は開催されていない。

日米開戦

昭和19年 7月、大洪水。8月25日、校舎焼失。

昭和20年 敗戦により武道は禁止となる。

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